吉田茂元首相の言葉
「もし、日本の統計が正確だったら、無茶な戦争などしない。統計通りだったら日本の勝ち戦だったはずだ」と太平洋戦争の敗戦を受けて、敗戦処理を一手に任せられた吉田茂元首相が「日本の統計はいい加減だ」と指摘したダグラス・マッカーサーに対して言い返したそうです。
まさに今、日本は新型コロナウイルスとの戦争の真っ只中にいます。しかし、政治は後手後手、メディアは数字を出して煽るだけという意味のない日を浪費しています。
そして、年末年始のGOTOトラベルを12月に入って一旦停止を決めました。これに対応し、キャンセル手続き、返金処理をする旅行会社や航空会社は、3密の条件が整う状況で事務処理に追われていることでしょう。
しかし、今の首相はお友達とのはしご会食にお忙しい様子。一方、野党も新型コロナに対応する新たな策を考え、提案するのでははく、その様子を偉そうに非難する無能ぶりを遺憾なく発揮しております。
町は年末の書き入れ時なのにも関わらず、時短営業の影響で、トドメを刺されそうになっているのに、政治家の方々の給料はどのような状況になろうとも1円も減りません。
政治家をはじめ、リーダーの能力で最重要なものの中の1つが「決断力」です。
遅く決断するよりも、早く決断する方が効果的ですし、正しく決断するよりも、早く決断する方が効果的です。
そもそも、正しいか、間違っていたのかは、未来の結果で決まることなので、決断して、実行してみないことには、正誤はわかりません。
そろそろ2020年は終わり、2021年がやってきます。
そろそろ自分たちの人生の価値は何かを考え、行動する時期なのではないでしょうか。
今は、新型コロナウイルスに感染してしなないことだけを重点的に考えていますが、心配しなくても「人間は死ぬまでは生きています」。問題は、その生きていた時間に自分は意味や価値を見出せたのかです。
死ぬ可能性があったとしても、やらなければならないことが人にはあると思います。生きていることだけが最高の価値ではないと思います。
武士道を記した「葉隠」には、「武士道というは死ぬことと見つけたり」と書かれています。
武士らしく死ぬためには、どのように生きなければならないのか。という生命を逆説的に見たものです。
もし、今、みなさんが新型コロナウイルスに感染して、死んだとしたら、幸せな人生でしたか。生まれてきた意味はありましたか。価値のある時間の積み重ねでしたか。
私は、新型コロナウイルスに対しては、後悔しないように対応するように第1波のときに決めました。労働できないことが、自分の人生でどのくらいつまらないものなのかを思い知らされました。
労働できないとは、社会の役に立たない。ということです。私は新卒から5年間は証券会社で働いていました。その間に出会い、投資を勧めたお客様には損ばかりさせました。「あなたに出会わなければ、こんなにお金が減ることもなかった」と数多く言われました。
その経験から、証券会社を辞めたときに、次の仕事では絶対、人の役に立つことだけをしよう。「あなたがいてくれてよかった」「あなたと出会ってよかった」と数多く言われるような仕事をするためには、できるかぎりのことをしようと覚悟を決めました。
それから、20年経った今年、新型コロナウイルスの感染で、私の覚悟は試されました。第1波のときには、押しつぶされそうになっていましたが、今は、覚悟のままに進んでいこうと決意を新たにしています。
それができていれば、メディアやワイドショーの無責任かつ無根拠な情報に踊らされることもなく、政治家の遅すぎる決定を待たなくても自分らしく生きることはできるのではないでしょうか。
2021年、アイギスは、これまで以上に社会の役に立つ商品やサービスを提供してまいります。ぜひ、機会がございましたら、直接、アイギスを感じてみてください。よろしくお願い申し上げます。