われいまだ木鶏たりえず
木鶏とは、荘子に出てくる故事に由来している言葉です。
故事では、闘鶏を育てる名人に王様が質問する形で話が進みます。
王様は、自分の鶏を預けて10日経過したころに、「どうだ、使えるようになったか」と問います。
名人は、「空威張りして闘争心があるからいけません」と答えます。
さらに10日程して、王様はたずねます。すると、名人は、「まだ、いけません。他の闘鶏の声や姿を見ただけでいきりたってしまいます」と答えます。
さらに10日して、王様がたずねると、名人は、「目を怒らせて己の強さを誇示しているから話になりません」と答えます。
さらに10日して、王様がたずねると、名人は、「もう良いでしょう。他の闘鶏が鳴いても、まったく相手にしません。まるで木鶏のように泰然自若としています。その徳の前に、かなう闘鶏はいないでしょう」と答えたそうです。
先週末、白鵬関が千秋楽で優勝を決めた相撲が酷評されました。さらに、勝負がついた後のガッツポーズにも批判が殺到しました。
昭和の大横綱である双葉山関が69連勝で止まったときに、「ワレイマダモッケイタリエズ」と電報を打ったと言われています。白鵬関も双葉山関を尊敬しており、自身の連勝が63で止まったときに、「いまだ木鶏たりえず、だな」と発言しています。
荘子は道に則した人物の隠喩として木鶏を書いており、「道を体得した人物は他者に惑わされることなく、座っているだけで周りの模範となるものである」と言っているのです。
みなさんの周りにも、「いまだ木鶏たりえていない人」があふれているのではないでしょうか。その方々は、まだ、訓練が終わっていない段階の闘鶏なのです。
まず、自分は、木鶏を目指しましょう。つまり、周囲の訓練が終わっていない闘鶏の声に左右されないようにしましょう。
次に、訓練が終わっていない闘鶏が自分の部下だった場合、これは無視するわけにはいきません。ここで、名人の鶏訓練法を参考にしましょう。
①空威張りや闘争心をなくす。(これは自信がない人の特徴です。その方の価値を認めて差し上げましょう)
②他の闘鶏が気になる。(他の職員を見て比較する前に、自分の進むべき道を示して差し上げましょう)
③己の強さを誇示する。(周囲からあなたは認められていると伝えて差し上げましょう。謙虚さを身に着けた方が楽に生きられると教えて差し上げましょう)
さすがの名人です。鶏を一流の闘鶏にするのに40日しかかかっていません。人を育成するには、木鶏レベルにまで持っていくためには、最低10年はかかるでしょう。
あきらめず、毎日、何かを伝え続けることが重要だと思います。そして、その前に、自分が木鶏になることが大切なことだと思います。
と言いつつ、かく言う私も、事故現場に臨場するたびに、「いまだ木鶏たりえず」ということを痛感しています。