『専門的視点』という怖さ
何年か前に、ある研修を受けました。
著名な方々が保育所保育指針の解説をしており、「多様な文化の尊重」「保護者支援」の話の合間に、「サザエさんの時代はとても良かった。SNSをするような今の親はダメ。親を教育しなければ」といったことをお話ししていました。私はそのサザエさんの話を聞いて「はて」と思って大変懐疑的な気持ちになり、園に帰った後その話を管理職にしたのですが、聞く耳を持ってもらえなかったことを覚えています。
大変有名な講師でしたので、私のようなヒヨッコが何を言っているんだ、と思われたのだとは思いますが「サザエさんの時代は~」から「~今の親はダメ。」まで、みなさまどのようにお感じになられたでしょうか。
確かに、保育施設は「保護者と共に」、子どもを愛で、育て、その育ちを喜び合う性質がある以上、時には保護者を諭したり、指導したりする必要があることは十分に理解しています。
様々な価値観を持つ人が保育業界に居ることは、それこそ多様な文化や、多様性の尊重において必要なことだとも思いますし、価値観に則って考えを述べることを否定するつもりはありません。
しかし、個人的な価値観を専門的視点のように伝えてしまうのは違いますし、ひょっとしたら話したご本人も気づいていない場合があるかと思います。(私が受けた研修の講師も、気づいていないのかもしれません。)
保育は社会で思われているよりずっと、専門的な知識と技術が必要とされる「プロフェッショナル」な分野です。ただ、プロフェッショナルな分野だからこそ、多くの子どもや保護者に適切な保育や支援を届けるために視野を広く、凝り固まらず居る必要もあると感じています。
人は馴染みのあるもの、既に経験しているものに安心や心地よさを覚えますから、新しい物に対して拒否感や抵抗が生まれることは自然なことですが、「ひょっとしたらこれって違うのかも」「個人的な価値観や考えが入っていないかしら」と立ち止まって考える時間や、新しい考え方や捉え方を意図的に入れ込むときを設定することが専門性の向上に繋がるのかもしれません。
考えれば考えるほど、保育は難しい。ですが、同時に為人を表す、大変深い深い分野だと思うのです。