あの国民的アニメの決め台詞『真実は、いつも一つ』ならぬ、『新人は、いつも孤独』
10月に入って2021年度も下半期となりました。各園の新人の職員さんたちのご様子はいかがでしょうか。ハードルを一つ、二つ、さらには三つ位越え、何周りも成長している職員さんもいたり、最近元気がないように見える職員さんもいるのかもしれません。
さて、今回はタイトルの通り『新人は、いつも孤独』のお話です。
「新人」と一括りに言っても様々な「新人」さんがいますね。学生から初めて社会人になった「新人」、保育園で勤務することが初めての「新人」、保育経験はあるけれども違う法人から入職した「新人」、同法人内で働いていたけれども違う施設から来た「新人」、役職が変わった「新人」・・・
「新人」を辞書で引くと、『新しく加わった人。新しく登場した人。』や『ある分野において、経験の浅いものを指す呼び名。』と出る物もありました。社会に出てよく使われる意味としては後者のような気がします。
アイギスのお客様はマネジメントされるお立場の方々が多いですから、いつも新人を育てるために、ご尽力されていらっしゃることと思います。ですが、今回は「新人」の立場からお話し申し上げたいと思います。
人は全員が初対面の中で関係性を構築していくよりも、既に出来上がっている集団に入る時に高いストレスを感じます。いわゆる「まとまり」や「一体感」「あうんの呼吸」などと言われるものを感じると、「疎外感」「孤独感」「よそ者感」を抱く、というものです。
既に出来上がっている集団に入るために(園の場合は組織、園と考えてください)、「新人」は研究をします。「どうしたらあの輪に入れるだろうか」「どうしたら自分の居場所をここに作れるだろうか」。こういった場合、人は既にある集団を観察し、その行動や言動を模倣することで、自分を「仲間」と感じてもらえるようにするそうです。
よく「好きな人を好きにさせるには、相手の真似をしなさい。」とティーンの雑誌や恋愛の指示書に書かれていますが、これと同じ原理です。これを「ミラーリング効果」と言います。乳児が信頼関係のある大人の真似をすることがあります。あれも「ミラーリング」です。
さて、たまにこんなお話しを聞きます。「新人の●●先生は最近✕✕先生に似てきた!」「▲▲先生と口調が同じ!」複数担任をしていると、よく語調が先生方の間で似通ってくることがありますが、よくない場合としてこういった内容のお話を聞くこともあります。
私が先に申し上げたお話を踏まえ、「似てきた!」の件を一度お考えになってみてください。どうして似てきたのでしょう。どうしてその新人さんは似せる必要があったのでしょう。
ミラーリングは0歳児がすることもあるように、無意識に行っていることが多いですが、その発端は「相手への好意」「尊敬」「親和性への欲求」です。「似てきた」ことを探ると、「その先生は早く馴染みたいのかも」「孤独を感じてたのかも」「自分の居場所として認めてほしかったのかも」と気付くことができないでしょうか。
先日、私はミラーリングに失敗していたことをスタッフから教えてもらいました。当時の私は「何もできないから、アイギスの一員として浮かないようにしなきゃ」と思って、意識していたことに自覚はありました。ですが、最近になってミラーリングが良くない方向に行ってしまっていることを気付かせてもらいました。今となってはそんなミラーリングの必要もなくなりましたし、そもそもなくて良かったとも思うのですが、どうやらそれがマイナスに働いてしまったようです。反省しています。
無意識でしていることも、理由があったりするものです。今回の件は新人さんだけに言えることではありませんし、無理して似せることは、心を疲れさせます。
職員同士が「あれ、似てきたかも?」と思う時は少し注意をして、見てあげてください。モヤモヤがあったり、寂しい気持ちがあったりするかもしれません。